1952年、クープとデュークにとって
因縁深い作品が公開された。 上映時間85分と映画としては小品ではあるが 巻き起こした話題は超大作だった。 映画は「真昼の決闘」(High Noon)、 主演は保安官ウィル・ケーンに扮したゲイリー・クーパーだった。 映画記者、批評家相手に試写会が行われ後の評価は 非難轟々、悪評さくさく、散々なものだった。 非難が集中したのはただ一点、 主役の保安官が従来の西部劇と違って 無敵のヒーローとはかけ離れた 人間臭い、弱みを持つ男だったからだ。 無法者が仕返しに町にやってくる、 しかも手下を連れて4人も、 加勢を募るも誰も協力してくれない。 「どうしよう」、 保安官は汗水たらして町を歩き助勢を頼む、 が、しかし、皆、家に閉じこもったまま。 無法者の乗る汽車は刻々と近づいてくる、 逃げ出した方が良いのかもしれぬ? 焦燥の色濃い保安官。 「何だ、これは!!! 冗談じゃない、こんな情けない保安官なんて」 不満を漏らすのは俳優も同じ、 その代表格がジョン・ウエインだった。 「よし、この俺が無敵の保安官を演じてやる!」 こうして完成したのがハワード・ホークスの娯楽大作「リオブラボー」だった。 確かに「真昼の決闘」は 今までの常識を覆す異色西部劇だった。 しかし、主要スタッフの顔ぶれを見れば 生半可な映画が生まれないことは明らかだ。 監督、フレッド・ジンネマン、製作、スタンリー・クレーマー、 脚本、カール・フォアマンは当時のアメリカで 極めて革新的な映画作りを進める異色の旗手達だった。 中には、カール・フォアマンのように ”赤狩り対象者”として目を付けられていた者もいた。 ところが異色トリオの方でもとんでもない誤算が生じた。 それは、主役のウイル・ケーンが決まらなかったのだ。 当初の候補、ヘンリー・フォンダに断られたのがつまづきのもと、 グレゴリー・ペッグ、モンゴメリー・クリフト、 マーロン・ブランド、カーク・ダグラス、 誰一人として首を縦にふらない。 その大きな理由は、当時のハリウッドは未だ保守的、 革新的連中に余りかかわりたくなかったのだろう。 窮余の一策、体調不良で休養していたクープに だめもとで声をかけたところ、 意外や意外、彼は簡単に「Yes」と出演に応じた。 クープは政治に関しては全くの無色、 さらには、人々の憶測には頓着しない性格だった。 さて、「真昼の決闘」が一般公開された。 驚いたことに批評家の非難もなんのその 観客の反応は上々、大ヒットを記録したのだから 専門家の意見も当てにならない。 結果的に、この作品は ゲイリー・クーパーに2度目の アカデミー主演男優賞をもたらせた。 実は、この年、ジョン・フォードが 歴史に残るヒューマンドラマの傑作 「静かなる男」を世に送り、 アカデミー監督賞を受賞した。 アカデミー賞ノミネート前の下馬評は 主演男優層の有力候補に 「静かなる男」の主演、ジョン・ウエインが挙がっていた。 まだ、アカデミー賞に縁がなかったジョン・ウエイン、 今度はオスカー像を上げても良いのではないかとの 空気が流れても不思議ではない。 ところが、蓋を開ければ ジョン・ウエインはまさかのノー・ノミネートの結果となった。 そして、授賞式当日、 ゲイリー・クーパーの名前が呼びあげられた。 所が、彼は体調不良で欠席、 代わりにオスカー像を受け取ったのがジョン・ウェインだった。 デュークが怒りの矛先を向けた「真昼の決闘」、 皮肉にもその彼が代理とはいえ ウィル・ケーン役としてアカデミーを受賞してしまった。 この事実は、ある噂、クーパー・ウエイン不仲説を否定している。 もしも本当に仲が悪ければ デュークがクープの代理を務める筈がないからだ。 二人はハリウッド黄金時代の大物中の超大物 親友とはいかぬまでも大人の付き合いをしていたのだろう。 尚、次のブログにて クープとデュークの俳優としての評価をしてみよう。
by shige_keura
| 2011-03-31 09:31
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