「月日は百代の過客にして
行きかふ年も又旅人也・・・・」 余りにも有名な松尾芭蕉の「奥の細道」の序文だが これから先を覚えている人は余りいない。 少し飛ばして続きの文章を読んでみよう。 「・・・・・やや年も暮れ、春立る霞みの空に白河の関こえんと そぞろ神の物につきて心をくるはせ ”道祖神”の招きにあひて取るものも手に付かず・・・・・・」 ここで出てくる道祖神とは旅の神さま、 松尾芭蕉も、旅の神様、道祖神の手招きにあっては 旅に出たい気持ちでいてもたってもいられなくなると言うことだ。 しかしながら、道祖神が旅の神様になったのは近世以降、 それまでは村の守り神、子孫繁栄の神様として 村の中心や村内と村外の境目や道の辻、三叉路などに 主に石碑や石像の形で祀られる神様の事だった。 従って、道祖神の分布は日本全国に広がるが 甲信越地方に多くみられ、 中でも安曇野村の道祖神の数は約400体、 これは市町村単位では全国一である。 即ち、安曇野は道祖神の里なのである。 ならば、うららかなる陽気のなか 春風に誘われて道祖神めぐりも一興だ。 男女の二神が穏やかな表情で寄り添っている。 時には手を握りあっていたり、 瓢箪の徳利と杯をもって酒を仲良く飲みかわしていたり、 中には色鮮やかな赤や青で彩色された道祖神、 どれもが親しみを感じ微笑ましい。 ただ、問題は約400と数も多く 場所がハッキリと示されているわけでもなく 又、石像自体が小さいので見つけるのに骨が折れることだ。 一方では見つけた時の歓びは大きく 「漸く巡り逢う事が出来たね」と ねぎらいの言葉をかけたくなる。 穂高神社前にある「塩の道道祖神」、 かつて塩を運んだ街道、塩の道から移築されたもの。 尚、ここで言う、塩の道のルートは 越後から甲斐の国、 その昔、上杉謙信が海のない甲斐の国、 宿敵、武田信玄に塩を送った道のことだ。 塩は人間にとっては無くてはならぬもの、 ローマにもVia Salaria(塩の道)と名付けらえた道が 幹線道路として今でも活用されている。 安曇野の豪族、等々力邸のそばの畑脇にも 可愛らしい道祖神がひっそりと佇んでいる。 この道祖神は顔かたちが風化してハッキリとしない。 それもそのはず、建立は古く、天保10年(1839)である。 山葵農場内にも幾つかの道祖神が見られる。 夫婦手に手を取って仲良く、 微笑ましいカップルの道祖神だ。 1800年代中盤から後期にかけては 彩色道祖神も盛んに作られていた。 幾つかの道祖神は風雨に因る劣化を防ぐため 屋根の庇の陰で仲良く並んでいる。 酒器、徳利と盃をもって 夫婦さしつさされつ、いける口の道祖神である。 ”道祖神巡り”観光マップによれば 願いによって六つのコースが用意されている。 1.縁結びの神コース 2.五穀豊穣の神コース 3.子孫繁栄の神コース 4.夫婦和合の神コース 5.塞の神コース(悪疫から村を守る) 6.行路の守護神コース 我等老夫婦にとっては 誰が見ても第6コースが妥当であるに決まっている。
by shige_keura
| 2011-05-13 08:37
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