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ピッチャーゴロの思い出
8月31日、富山アルペンスタジアム、
ツバメを追って追い上げ急の巨人、
相手は独り蚊帳の外の横浜、
試合に向かう意気込みが違うようだ。

初回、横浜が珍しくも1点先行するも
その裏、巨人は2点をとってあっさり逆転。

2-1のまま2回裏、巨人の攻撃で事件は起きた。

2死ながらランナーは2塁、
中押しが欲しい巨人、離されたくない横浜、
ここで打者の当たりはピッチャーゴロ、
1塁側はため息、3塁側はホッと一息。

ところが、予定外の展開で
敵も味方も観客もアット驚いた。

なんと投手が1塁にとんでもない高い球の送球、
ボールがファールゾーンに転がり
鈍足の走者ラミレスといえども悠々の生還。

アナウンサーの声が聞こえてきた。

「3塁側ベンチでは
 尾花監督が怒りを通り越し茫然としています」

そりゃそうだろう、監督としては泣くに泣けない。

1塁側巨人ベンチからは高らかな笑い声、
3塁側横浜ベンチは全員憮然、苦虫をかみつぶしたよう。

この大チョンボをしでかした投手はリーチ。

場末の流行らぬ雀荘のような名前、
如何にも麻雀につきものの
チョンボをしでかしそうな怪しげな奴である。

さて、この場面を珍しくもラジオで聞いていた私は
ピッチャーゴロにまつわる、
プロでは二度と見たことがない珍プレーを思い出した。






時は1959年、場所は後楽園球場、
当時、熱烈の巨人ファンの私は
1塁側最前列に陣取って声を枯らしていた。

相手チームがどこであったのか?
事件が起きたのが何回か?
全く思い出せない。

ただ、その場面の印象は強烈だった。

主役はその年入団した王貞治、
相手役は大ベテラン、別所毅彦、
名脇役は勝負師、水原茂監督である。

この年、別所といえども寄る年波に悪戦苦闘、
スタルヒンに次ぐ300勝達成へのまさに胸突き八丁
限られた登板の日は何としても勝ちたい想いが強かった。

序盤から中盤にかけて巨人リード、
別所としては目標に一歩前進の光が見えていた。

多分、4回か5回の相手の攻撃
2死ランナーは1塁、
ピンチとまではいかぬ局面だった。

ここで打者は平凡なピッチャーゴロ、
別所、難なくさばいて1塁に送球、
野手はすべてベンチに引き揚げ始めた。

と、そのとき、1塁手の王が
自分の正面に来た送球を落球してしまった。

半分諦めていた打者も
落球を見て猛然と走り始めた。

王としても思っても見ない事態に焦ったのだろう。

速やかに拾い上げれば事件には至らなかったのだが
自分の真下に落ちたボールの行方が
分からないのか、もたもたしているばかり。

その間、打者は1塁ベースを駆け抜けた。
ピッチャーゴロの思い出_c0135543_1493385.jpg

さー、その時の別所の顔が恐ろしかったこと、
後に鬼軍曹と言われた彼、
新人の王としては謝りようもないチョンボに
ただただ身を縮めているよりほかなかった。

何とか、別所は後続を断ちチェンジ、
王としては胸をなでおろしたに違いない。

王の方には一瞥もせず
傲然とベンチに下がる別所。

ベンチに引き揚げる野手に交じって
王もうなだれて戻ってきた。

顔を上げられる状況ではない。

するとそのとき、眼前に両手を腰にあてた男が
王の前に立ちはだかった。

巨人監督の水原茂である。

ピーンと背筋を伸ばした綺麗な立ち姿、
満員の観客の前で王の頭を帽子越しにポーンと叩いた。

一瞬静まった場内が大爆笑に包まれた。

叩いた水原、厳しいお仕置きだが
その顔は可愛い腕白小僧を見ているかのよう、
慈愛に満ちた笑みがこぼれていた。
ピッチャーゴロの思い出_c0135543_1415640.jpg

帽子をとって深々と一礼後、
王さんのあどけなさが残る顔に
恥ずかしげな笑みが広がった。
ピッチャーゴロの思い出_c0135543_1423732.jpg

水原の所作も良かったが
あの時の王さんの笑顔は誠にチャーミングだった。
ピッチャーゴロの思い出_c0135543_1431380.jpg

今を去ること50年以上も昔のことである。
by shige_keura | 2011-09-05 10:41 | スポーツ
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