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名馬2頭  -1-
又、競馬の話か、と思われるかもしれぬが
今回はそうではない。

歴史上で伝わる名馬は
競馬の世界ならば沢山居る。

昔のシンザン、ハイセイコー、
そして最近のディープインパクトのように。

ところが、競馬以外で名前が伝わり
我々の年代の人ならば誰もが知る馬は少ない。

今回は、その例外中の例外の名馬2頭の物語である。

大田区に馬込という名前の場所が今でもある。

この一帯は昔、九十九谷(つづらだに)と呼ばれていたように
土地の起伏が激しい丘陵台地を形成している。

話が余談となるが、もしもこの地の谷の数が99でなければ
大田道灌はこの地に江戸城を築いたかもしれぬ。

大田道灌は実際にこの地を見聞して
築城することに大いに心を揺るがされた。

ところが、谷の数が99と聞き、
苦が重なるのは縁起が悪いと計画を断念したと言う。

さて、今を去ること800年ほど前の大昔のことだが、
馬込一帯は馬の産地として有名で
放牧場の柵内に馬を留めていた(込めた)為、
「馬込」という地名となったことが伝わっている。







ブログの主人公の名馬2頭、
1頭はこの馬込の産であり、
僚馬は同じ大田区の洗足池が生誕と言われている。

馬の名前は、「磨墨」(するすみ)と「池月」(いけづき)、
共に、鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の持ち馬、
と云うよりも、我々には「宇治川の合戦」で
激しい先陣争いをした馬として親しまれている。

それでは、名馬2頭の生誕から
宇治川の合戦に至るまで
私の苦手な日本史の勉強をしながら振り返ってみよう。

先ずはじめに、主な出来事を年代順に整理してみよう。

元永1年(1118) 平清盛誕生
久安3年(1147) 源頼朝誕生
平治1年(1159) 源義経誕生
平治2年(1160) 源氏(源義朝)平家に敗れ頼朝伊豆へ流される
治承4年(1180)  8月、頼朝、石橋山の合戦で平家に敗れる
            9月、頼朝追討の命が下る
            9月、源(木曽)義仲、信濃で挙兵
           10月、頼朝、鎌倉に入る
           10月、富士川の合戦で頼朝、平維盛を破る
寿永2年(1183)  5月、木曽義仲、倶利伽羅峠にて平家を破る
            7月、平家一門、安徳天皇と共に都落ち
寿永3年(1184)  1月、木曽義仲、征夷大将軍に任ぜられる
            1月、宇治川の合戦で、義経軍、木曽義仲を破る
            2月、一の谷、義経、鵯越えの奇襲で平家を破る
元暦2年(1185)  2月、屋島の合戦で平家敗走
            3月、壇の浦の戦いで平家滅能、安徳天皇入水
名馬2頭  -1-_c0135543_846327.jpg

今、こうやって歴史を振り返ると、
吾等が親しんだ「源平盛衰記」、
特に1180年から5年間は戦いに明け暮れた毎日だった。
名馬2頭  -1-_c0135543_8463751.jpg

そして、磨墨と池月名馬2頭が
戦場狭しと活躍したのもこの時代だった。
名馬2頭  -1-_c0135543_8472326.jpg


名馬2頭  -1-_c0135543_8474680.jpg

明日に続く。
by shige_keura | 2011-10-19 08:49 | その他
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