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名馬2頭  -4-
先ずは、私の日本史に対する
無知を露呈しなければならない。

その昔、絵本とは言え「源平盛衰記」を読んでいるので
その内容は概ね把握していた積りだ。

それが、どうだ、まるで間違えた認識をしていたではないか!

「池月」、「磨墨」の先陣争いで有名な「宇治川の合戦」、
この戦は、てっきり源氏と平家の間で行われたものと思っていた。

ところがどっこい、この合戦は、
頼朝、義経軍と木曽義仲が戦ったものなのだ。

木曽義仲は源義仲とも言われ、
頼朝、義経にとっては従兄弟に当たる人、
即ち、「宇治川の合戦」は源氏の内輪争いだったのだ。

いやいや、お恥ずかしい限りである。

この合戦への出陣前、
梶原景季は頼朝に「池月」の拝領を願い出た。
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しかし、頼朝は「池月」を手放すことを拒み
その代わりに「磨墨」を景季に与えた。
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「磨墨」はその名前の通り
磨った墨の様に黒光りした美しい馬、
景季は勇躍、馬にまたがり戦場に赴いた。







景季出陣後、頼朝の前に現れたのが
同じく鎌倉殿の重鎮であり、
先陣争いの主役を務めた佐々木高綱だった。
名馬2頭  -4-_c0135543_18171116.jpg

高綱はもしも「池月」を拝領出来れば
見事、宇治川を先頭で渡って見せると宣言、
その勢いに負けたのか、頼朝は愛馬を彼に与えてしまった。
名馬2頭  -4-_c0135543_18174457.jpg

宇治川を前にして高綱は景季に合流したのだが、
そのまたがってる馬を見て景季は驚いた。

「何と! 池月ではないか!!」

自分よりも高綱を寵愛した頼朝、
思わず、景季は刀の柄に手をかけ詰め寄った。

その時、高綱いささかも慌てず、こう言い放った。

「拙者、宇治川を先頭で渡りたい一心で
 厩から殿の愛馬を盗んできた」

得心した景季はきびすを返し川に乗りいれた。
名馬2頭  -4-_c0135543_18183470.jpg

あとに続いたのは勿論、高綱、
前を行く景季に声をかけた。
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「景季殿、馬の腹帯が緩んでおりますぞ」

これはいかぬ!

景季が馬を止め注視したが、そのような気配はない。

「しまった! 謀られたか!!」

見ると、高綱の乗った池月は先頭で
宇治川を渡りきってしまった。

ここまでの話、全てが真実であるとするならば、
佐々木高綱と云う男、
良く言えば、”機転が利く男”、
悪く言えば、”悪智恵の働く男”、
どちらにせよ、相当な切れ者だったのだろう。
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いずれにせよ、この戦いで勢いを得た義経軍は
一挙に上洛、義仲は北陸に逃れたが
粟津の戦いで討ち死にする。

源氏の勢いは留まるところを知らず
一の谷で時を窺う平家を破り
瀬戸内海の屋島の戦いにおいても一蹴、
関門海峡の壇の浦で平家の息の根を止めた。

さて、名馬2頭のその後は定かではない。

池月は福岡、大宰府を任された
主人、高綱と共に九州に渡り
再び、鎌倉の地は踏まなかったと伝えられている。

一方、磨墨は生まれ故郷の馬込で
一生を全うしたとの伝承が残っている。

「源平盛衰記」を盛り上げた名馬2頭の物語である。


 
by shige_keura | 2011-10-22 23:16 | その他
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