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母校誕生秘話 2  -才女の受けた衝撃-
1890年4月4日の夜半、
東洋英和女学校内の宿舎で起こった悲劇。

ここに小林一三のほかに、もう一人、
事件の詳細を随筆集の中に書いた才女がいた。

その人の名前は片山廣子。

日本近代詩歌の草分け、佐佐木信綱門下で
最も光り輝いた女性であり、
松村みね子のペンネームで
アイルランド文学の翻訳の第一人者として
坪内逍遥、森鴎外等の絶賛を浴びた女性である。

更に彼女は若くして自らの命を絶った
芥川龍之介が信頼と思慕を寄せた人物として
知る人ぞ知るの存在だった。

芥川は14才年上の廣子を評していた。
               (東洋英和女学校卒業直後の廣子、1896年頃)
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「彼女は私と知力の上でも格闘できる数少ない人、
 気品に溢れた彼女は絶対に人の悪口を言わない、
 まさに、清楚で芳しい香りの”くちなし夫人”、
 典雅の女性である」
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彼女は77歳にしてエッセイスト・クラブ賞を受賞した
「燈火節」の中で、「L氏殺人事件」と題し、
ラ-ジ師殺人事件の詳細を伝えている。




何故、片山廣子は事件詳細を知り得たのか?

それは、彼女も事件当日
東洋英和女学校の寄宿舎で生活していたのだ。

彼女の実家は麻布の三河台、
歩いても通える東洋英和なのだが、
英国総領事を務めた父の強い勧めで
寄宿生活を送っていた。

恐らく、廣子に西洋的考え方と
生きた英語を学ばせる為の計らいだったろう。

彼女は父の期待通りの教養と語学を身につけ
天才作家、芥川龍之介の舌を巻かせる存在となっていった。

彼女は類稀なる美貌の持ち主にも係らず、
生涯、たった3枚の写真しか残さなかった。

本ブログの写真は貴重な1枚、
女学校を卒業したころのものであり、
彼女の最も若い頃の姿を残すものだ。

写真撮影が1896年ごろと推定されるので
事件当時、廣子は女学校入学したばかりの頃、
多感な少女にとって受けたショックは
いかばかりのものがあっただろうか。

彼女の生々しい文章が
事件の凄まじさを伝えている。

続きは明日以降、

資料協力
東洋英和女学院、資料室
大田区立郷土博物館
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by shige_keura | 2011-11-29 18:08 | その他
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