本シリーズ、最初に取り上げる野球人は
やはり歴史上初めて50本の壁を超えた男、 ベーブ・ルースに努めてもらわねばならぬ。 彼の年間最多本塁打、60本は 今や世界の首位に立つ数字ではない。 しかし、ベーブ・ルースこそ 歴史上の野球人として最も偉大な男なのだ。 今から、ベーブ・ルースが如何に 規格外で驚異の男だったかを紹介していこう。 彼は19歳の時(1914年)、 ボストン・レッドソックスの選手としてデビューし 1919年迄、主に投手として活躍した。 その間6年、投手としての成績は次の通りだ。 登板試合数 勝利 敗戦 完投数 防御率 163 89 46 105 2.28 エース級の成績、特に6年間で 105完投は恐れ入った数字である。 ベーブは決して投手を落第して打者に転向したわけでなく、 最初から打ってよし投げて良しの選手だった。 レッドソックス在籍、最後の2年の本塁打数は 1818年、11本、1819年、29本、 両年共に投手でありながら、本塁打王に輝いている。 こんな野球人は何処捜してもいやしない。 ヤンキースに移籍した1920年、 彼は本格的に打者に転向し 満天下ファンが目を剥く成績を残した。 (ヤンキース移籍の頃のベーブ、右はタイ・カップ) 本塁打、54本、打率0.376 打点、137、 無論、本塁打王に輝いたのだが 2位の強打者、ジョージ・シスラーの本塁打は19本、 実に3倍近い本塁打をかっとばしている。 これが、まぐれでは無いことが 次の数字が良く物語っている。 年 本塁打 打率 打点 1921 59 0.378 171 1927 60 0.356 164 1928 54 0.323 142 通算 714 0.342 2,217 彼は生涯4度、50本の壁を超えたのだが この時代は現在とホームランの定義が違っていた。 即ち、当時は左右のポール直撃打、 更に、ポールの内側を巻いて 観客席のファールゾーンに落ちた打球は 共にファール(今はフェア)とされていたのだった。 ある、著名の記者に言わせると 1927年の本塁打数は 今のルールに照らすと80本に到達していたと言う。 ベーブ・ルースはプロに入る前、 どのように野球に付き合っていたのか? これを知ると、更に驚きは大となる。 以下、明日のブログで、
by shige_keura
| 2011-12-21 12:12
| スポーツ
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