人間がこの世で生きていくために必須のもの、
それは一に空気で二が水であることは疑いも無い。 古代の昔から、人間は如何にして水の恵みを得るかに腐心した。 歴史上最強の帝国と言われているローマも 一大事業として水の供給を最優先課題とした。 それは、古代ローマの町に 11もの水路を築いたことにも窺われる。 紀元前312年最古の水路、アッピア水道が 16.5キロの区間に水を通し ローマ市民の生活に潤いを与えた。 (アッピア水道) 20.7キロの長さで紀元前19年に完成したヴィルゴ水道は 今でも満々と溢れんばかりの水を運び トレビの泉は何時でも多くの観光客で賑わっている。 (ヴィルゴ水道の恵み、トレビの泉) ローマはその領土を拡張した時には 必ずと云って良いほど、 水道工事事業に最大の努力を傾注した。 今でも欧州、アフリカ、中東各地に 当時の帝国が築いたローマ水道の姿が残っている。 南仏、プロバンスを旅した時、 ローヌ川にかかるローマ水道、 ポン・デュ・ガールの威風堂々とした姿には感動を覚えた。 ところ変わって、ここは京都、南禅寺。 「絶景かな! 絶景かな!!」 石川五右衛門の科白で有名な三門の右奥に ローマ水道とみまごう 赤レンガ積みの建造物が現れる。 名前を「南禅寺水路閣」、 かの有名な「琵琶湖疏水」の一部である。 (「哲学の道」脇を流れる「琵琶湖疏水分線」) 「琵琶湖疏水」事業は 1885年から1894年にかけて 琵琶湖の水を京都に運ぶために作られた水路である。 かつて栄華を誇った京の都は 1864年、禁門の変(蛤御門の変)で火の海となった。 (水路閣上の水路を滔々と水が流れる) 更に、東京遷都で人口が流失し 荒廃した都の再整備が喫緊の課題となった。 そこで、登場したのが市の産業開発を主な目的とした 琵琶湖の水を京都へ運ぶ水路建設だった。 ただ、一方では古都京都の景観にも配慮せねばならない。 特に南禅寺の裏手の水路建設には 細心の注意がはらわれた。 その結果、設計技師、田辺朔郎氏の熟慮の結果 ローマ水道をモデルとした南禅寺水路閣が誕生した。 琵琶湖疏水が当初計画、 京都の産業振興にどこまで貢献したのか分からない。 ただ、南禅寺境内にひっそりと佇む 古代ローマの趣き、 和と洋が溶けあってユニークな景観を醸し出している。
by shige_keura
| 2012-05-03 10:08
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