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より高く、より遠く、壁を超えた男たち (謎の正体?)
久しぶりに「より高く、より遠く、壁を超えた男たち」、
すなわち年間50本以上の本塁打を記録した選手について書いてみよう。

きっかけは故・山際敦淳司の名エッセイ、
「ナックルボールを風に」を再読したことだった。

主人公は実働20年間、
生涯打率、0.311、本塁打、510本、打点、1,569、
その間、三冠王3回は日本プロ野球界ただひとり、
けちのつけようもない成績だ。

しかも、日本人としては王選手さえ出来なかった
唯一、2年連続50本の壁を超えた男だ。

野球ファンならば、もうお分かりだろう、
そう!監督としても輝かしい実績を残した落合博満さんである。

選手時代の秀でた成績の割に、
落合さんを巡っては雑音も多い。

その中で、さいたるものが、
「落合の三冠王、
 あれは狭い川崎球場あってのものさ」である。

確かに、本拠地、川崎球場は
三冠王獲得の追い風とはなっただろうが
ロッテ、中日、巨人、日ハムと渡り歩いての
生涯打撃成績は超一流打者の証である。
より高く、より遠く、壁を超えた男たち (謎の正体?)_c0135543_1892720.jpg

ただ、この人の最大の謎は
プロに入るまで野球にのめり込んだことがないことである。

常に斜に構えていたと思える野球への取り組み。
にもかかわらず、あのような桁はずれな成績を
納めることが出来た秘密はどこにあるのだろう?





1953年、秋田の現男鹿市に生まれた落合さんは
そのころの男の子の標準モデル、
長嶋・王にあこがれて野球に親しんだ。

しかし、中学校から高校にかけて、
彼の最大の楽しみは野球ではなく映画だった。

そのころの彼は年間100本以上もの映画と共に
多くの時間を映画館で費やした。

中でも、お気に入りは「マイフェアレディ」、
少なくとも7回は映画館に通い、
その都度、最初の回から終わりまで見ていたと言う。

従って、「マイフェアレディ」だけで20回以上見ていた勘定となる。
より高く、より遠く、壁を超えた男たち (謎の正体?)_c0135543_1842354.jpg

あの、能面のような落合さんが
どんな顔をして「マイフェアレディ」を見ていたのだろうか。
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高校時代、野球部に入るも
”しごき”に耐えかねて直ぐに退部した。

しかし、彼の技量が突出していた為
公式試合が近づくと呼び戻され、
3年間で7回、入退部を繰り返した。

東洋大学に入り直ぐに野球部に入る。

しかし、ここでも体育会流儀に馴染まず半年で退部し
ボウリング場でバイトをしていた。

プロボ-ラ―を目指し腕を上げプロ試験に臨むも
当日、交通違反をおこし試験に受けられなくなってしまった。

21歳の時に東芝府中の臨時工として採用、
野球部に入るが練習は夕方以降の短時間だった。

その取組で5年間の公式戦で
70本の本塁打を放ち注目を浴びる。

このとき、巨人も注目し指名を予定したが
江川事件でドラフト自体をボイコットし落合はロッテが指名した。

このとき、落合を推薦したのが
当時、ロッテのスカウト、元・巨人のエース、城之内だった。

彼の、推したポイントは、
「落合は変化球に強く投手が苦手とするタイプの打者」だった。

時に落合25歳、プロ入りは異例に遅かった。

翌年からレギュラーとなって
ポンポンと主に右中間にホームランをかっ飛ばした。

一体全体、彼はいつ、どこで野球にのめり込んだのだろう?

謎の男、落合は打席でも投手からは
得体の知れぬバッターだった。 

これは、当時、日ハムの江夏投手と落合の会話である。

江夏・「お前は絶対に投手のコンビネーション読んでるだろう、
     それなのに、俺が裏をかいた、あの球どうして打てたんや?」

落合・「えーー、だって俺、なーーんも考えておらんからねーー」

彼は本当に何も考えていなかったのだろうか?

何も考えない男が次のような芸当が出来るのだろうか?

落合さんは節目の試合、1,000試合、2,000試合出場
そして記念すべきヒット、500、1000、1,500、2,000本目、
すべてを本塁打で飾っている。

彼は引退後初めて、「狙っていた」と口を開いたし、
「ホームランさえ狙わなければ4割は楽に打てますね」とも広言した。

一体全体彼はどんな男なのだ?

落合さんはロッテ時代、こんなことも言っていた。

「俺には特に趣味は無いね。
 酒も実はあまり飲めないし、
 試合が終われば部屋でテレビつけてね、
 だけど、テレビを見てるわけじゃんくて
 ぼーっとしてるのが好きなのさ。
 
 ロッテと言うチームには特に執着は無いし、
 俺は何処にでも行くよ、どこでもいいんだよ
 もう、どうだっていいのさ」

落合さんの選手、監督時代を通じての醒めた言動、
山際さんの推測によれば
「一度、自分を放り投げた事があったのではないか」

それが「もうどうだっていいのさ」に繋がる。

「世間も野球もそして自分を冷ややかに見ている
 もうひとつの目が落合自身の中に潜んでいるのではないか」
これが、山際さんの辿りついた結論だ。

この推測、これはこれで納得がゆく、
が、しかし、落合さん自分自身で評する自己の打撃術、
「非常に高い技術が必要なので
 真似するとスランプになるので勧めない」。

この奥義はどのようにして会得したのだ?
依然として、私の中では彼は謎の人物である。

最後に、珍しくも落合さんの
人情味あふれる言葉を発した場面を紹介しよう。

それは、彼が巨人を退団するに当たっての記者会見、
横に長嶋当時巨人監督が座っている。

落合さんは慈愛にあふれた表情でこう語った。

「だって、清原選手が巨人に来ることになったでしょう。
 ここで、僕が居たらどうなりますか?、
 長嶋さんを困らせるわけにはいきませんよ」

このときの落合さんの優しそうな顔、
困ったように笑みを浮かべるしかない長嶋さん、
プロ球界を代表するツーショットはなかなか良かった。

参考資料
「ナックルボールを風に」  山際淳司
by shige_keura | 2013-01-21 18:53 | スポーツ
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