円覚寺を入ってすぐ左にあるのが 季節の花々で有名な松嶺院、 ここに一世を風靡した美男・美女が眠っている。 田中絹代について形容する言葉は数多い。 中でも代表的なものが「真の国際女優」、 「映画と結婚した女」、そして「恋多き女」となる。 「真の国際女優」を説明するには 彼女が如何に国際的に評価を受けたかを語れば良い。 日本の女優数多いる中で、 世界の三大映画祭、カンヌ、ヴェネチア、 ベルリン全てで受賞の栄誉に輝いたのは田中絹代のみである。 「映画と結婚した女」の意味は一生独身を貫き その間、100本以上の映画に主演しただけでなく 日本で2番目の女性監督として6作品のメガフォンを取ったということ。 これは、絹代がその一生を映画に捧げたと言うことに他ならぬ。 にもかかわらず、彼女には「恋多き女」のフレーズが付きまとった。 田中絹代と神宮の花形プレーヤー、 慶応の水原茂(のちの巨人監督)とのロマンスは 満天下のファンを騒がせたものだった。 (慶応大学時代の水原茂) 水原茂のちょっとした行動が元で 六大学史上最大の騒ぎとなったのが「リンゴ事件」、 そのとき、絹代は観客席で固唾をのんで事の成り行きを見守っていた。 田中絹代は一見おしとやかで純情そうに見えるが 実は芯の強い女性だったと思われる。 初のアメリカ訪問から帰国した時 羽田空港で投げキッスをしてファンの顰蹙を買った。 「絹代は生意気だ! アメリカかぶれしている」 やがて、彼女は役を干され、松竹を退社した。 しかし、その後の彼女の活躍は目覚ましい。 「楢山節考」、「サンダカン八番娼館 望郷」等で見せた 体当たりで挑んだ汚れ役、老け役 そこに居たのは確かに「映画と結婚した女」だった。 田中絹代の墓と背中合わせにあるのが中井家のお墓、 ここに日本映画史屈指の美男俳優・佐田啓二が眠っている。 彼は早稲田大学在学中、 松竹の大スター・佐野周二の家に下宿していた。 このことが縁で松竹に入社し 1947年木下恵介監督の「不死鳥」に抜擢された。 その作品の主演が田中絹代だった。 佐田啓二の名前が不動のもになったのが 菊田一夫の人気ラジオドラマの映画化 「君の名は」に主演したことによる。 すれ違いメロドラマの元祖、「君の名は」は 邦画映画史上最高のロードショー観客動員を記録した。 因みに洋画はオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」で 両作品の記録は半世紀以上経った今も破られていない。 「君の名は」は二人の男女、後宮春樹と氏家真知子が 銀座の数寄屋橋を因縁の地として 繰り広げられる3部作のメロドラマである。 氏家真知子を演じた岸恵子の人気も沸騰、 特に彼女が首に巻いたスカーフのスタイルは 「真知子巻き」の名で瞬く間に日本中を駆け巡った。 事件勃発を聞いた時、ファンは信じられぬ想いだったろう。 1964年、蓼科高原の別荘から東京に戻る途中 佐田啓二の車はトラックと衝突 病院に搬送されるも帰らぬ人となった。 享年37歳は悔やんでも悔やみきれぬほどの若さである。 全速で映画世界を駆け抜けた佐田啓二、 半世紀以上も映画界のトップを維持し続けた田中絹代、 二人は円覚寺内、松嶺院に背中合わせに眠っている。
by shige_keura
| 2013-05-16 19:27
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