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晩秋の向島  -三越・ライオン・三囲神社-
言問橋を渡るとすぐ左手が割烹・上総家、
その角を曲がった横丁が見番通り。
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見番とは、芸者衆のお座敷の管理、
料亭と芸者置屋の間で玉代の精算を行う、
すなわち、花街の元締めである。
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江戸時代、この地に水戸様の御屋敷があった。

水戸と言えば梅から頂いた粋な名前の「小梅小学校」を過ぎると
威風堂々とした神社、「三囲神社」(みめぐりじんじゃ)が目に入る。
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御祭神は穀物の神様、宇迦之御魂之命(うがのみたまのみこと)であり
旱魃の際の雨乞いに霊験あらたかだという。

境内を正面に見ると
なにやら、普通の神社には場違いの置物が見える。
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なんと、百獣の王、堂々としたライオンのブロンズ像だ。
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ライオンの像と言えば「三越」のシンボル、
ここのライオンは、池袋・三越が2009年閉店した時
この神社に寄贈されたのである。

なんで、ここに三越のライオンの像があるのか?

それは、かようなな背景があるのだ。





「三囲神社」は当時、京都の豪商、三井家が
江戸に進出した時に、守護神とした神社なのだ。

理由はふたつあって、
三井の江戸の本拠、江戸本町から見て
東北の鬼門にあったのがこの神社であったと言うこと。

更に、神社の名前の「囲」の文字は
三井の井の字が周りに守られていたからだ。

さて、三越本店前にライオンのブロンズ像が誕生したのは1914年だが、
それは当時の支配人、日比翁助が百貨店開設準備のため欧米視察の折り、
ロンドンのトラファルガー広場でネルソン提督を護るライオンの像を見た事に因るものだ。

日比翁助は息子の名前に「雷音」と名付けるほどのライオン好き、
三越が王者になることを願って百貨店のシンボルとした訳だ。
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尚、本家本元のトラファルガー広場のライオン像は
1850年、イギリスがナポレオン支配のフランス・スペイン連合艦隊を
トラファルガーの海戦で撃ち破ったことを記念して出来たものだ。
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イギリスの英雄、ネルソン提督を4匹のライオンが守る、
言わばロンドン観光の定番名所のひとつとなっている。
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イギリスの守護神が海を渡り「三越」のシンボルになり
そして、下町の向島でひっそりと佇んでいる。

耳を澄ませばかすかに三味線の音が流れてくる。

芸下がりの芸妓のお稽古か?

「チントンシャン」とブロンズのライオン、
何とも言えぬ取り合わせ、向島ならではである。

若干、盛りを過ぎたとはいえ
酔芙蓉の花が境内に咲いていた。
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素面の白い酔芙蓉、きこしめして赤く染まった酔芙蓉
夜になると界隈を徘徊する酔芙蓉の旦那衆で
シャミの音も一層華やかになるのだろうか。
by shige_keura | 2013-10-29 08:30 |
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