我が家の玄関口に無骨なブーツが姿を見せるのが12月、
毎年恒例の金沢旅行用の履物である。 「弁当忘れても傘忘れるな」、 金沢で必ず聞かれる言葉が意味するように 当地の天気は変わりやすい。 特に冬の季節は雲間から陽が覗かせたかと思うと 黒雲が立ち上り雷鳴と共にミゾレ交じりの雨、 時には横なぐりに雪がふりつける。 道路は雪対策の融雪装置から 水がほとばしり水溜まりを作る。 温度が下がれば水溜りは凍り滑りやすい。 従って雨・雪用の履物がどうしても必要となるのだ。 このブーツを見ると遠い昔の印象的な北欧出張を思い出す。 時は1978年の2月末から3月初旬、 私は業務のためにフィンランドの首都・ヘルシンキと 更に北の北極圏の町、ロバニエミに出張した。 ロバニエミはその当時からすでに欧州の自動車メーカーが 耐寒テストをする場所としてその名を馳せていたが 日本人にとっては全く馴染みのない土地だった。 首都、ヘルシンキの2月は相当に冷え込むが ロバニエミはそれどころではない。 朝、ホテルの中は25℃、程よい暖かさで快適なのだが、 二重ドアを開けて外に出た瞬間様相は一変する。 気温はマイナス30℃、一挙に温度が50度以上変化する。 頭にカーンと一撃くらったような感じを受け、 呼吸がままならぬ。 歩こうとしても東京から持参した靴では どうにもままならぬ。 下手すればスッテンコロリン、 凍てついた道路に頭をぶつけて怪我する危険がある。 慌てて、お店に入って とるものもとりあえず購入したのがこの茶色のブーツなのだ。 このブーツのおかげで新車の雪上、氷上走行テストは順調に終え、 北欧・フィンランド、ノルウエー、スウェーデン、デンマークの仲間たちと 北の果ての地で楽しい一時を持つことが出来た。 「熊の穴倉」(ベアーズ・デン)の名前の山小屋、 サウナ室から飛び出して、 火照った身体を銀世界めがけてダイビング。 野生の味、レインディア―(トナカイ)のステーキを赤ワインと共に平らげ、 暖炉を囲んで夕食後のアクアヴィッツ(北欧の焼酎)を楽しむ。 それはそれは、今となっては夢のような一時だった。 3月上旬首都ヘルシンキに戻った。 販売店を訪問した10日、 秘書が一通のテレックスを持参した。 「おめでとう!」の声があちこちから聞こえてきた。 開くと「次女誕生、母子ともに健康」のローマ字が書いてあった。 以降37年、次女と同い年のブーツ ここ10年ほどは12月になると 決まって、この靴を履いて日本の故郷とも言える金沢に出かける。 その間、一度たりとも不都合を感じさせないブーツ、 今年も年に一度の出番の時が来た。
by shige_keura
| 2015-12-21 21:30
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