2月29日から3月1日にかけて、 終わりかけた梅の上に、うっすらと雪が積もるという 真冬の寒さがぶり返した京都を訪れた。 主な目的は京都に詳しい方に紹介を受けた 評判の小料理屋で美味しい和食を味わうことにあった。 私は京都には数回行ったことはあるとは言え、 古都についての知識はまるでない。 今回も市内でタクシーに乗って祇園に向かった折に 言わなきゃいいことを言ってしまって、 運転手さんを呆れさせてしまった。 私:「ほら、あの正面に見えるのが平安神社ですよね」。 運転手さん:「お客さん、本当に何も知らないねー、ひどいね、あれは八坂神社です」。 きまずい雰囲気が車中に漂ったのだが、 これが、私の京都に対する知識の低さを如実に物語っている。 金閣寺、銀閣寺の「姿かたち」は流石にイメージとして頭にあるが、 これが二条城、御所、知恩院、等々、まるで頭に浮かんでこない。 (漸く分かった「知恩院」、うーん、立派だ!) 行ったことがあるのだか?、ないのだか?はっきりとしない。 だから、京都郊外の宇治に至っては、 どこにあるのかさえ分かっていなかった。 宇治に対して唯一持っていた知識は「茶所宇治」、 日本の伝統的飲み物、 食事・食後に欠かせぬお茶、 宇治はお茶の代表的産地というものだった。 宇治駅前の郵便ポストが茶所を物語っている。 何と、ポストの形がお茶壺!! そう!!!宇治は、かの有名な「お茶壺道中」の基点なのである。 「お茶壺道中」は「宇治お茶壺道中」とも呼ばれ、 慶長18年(1613)江戸から採茶使が 将軍家へ献上するお茶の摘み取りのために派遣されたことに始まる。 その後、制度化され毎年、初夏の摘み取りが終わると お茶壺に封印された献上茶が道中行列を組んで江戸に向かった。 この道中行列は将軍家御用の絶対的権威を持っていたので 大名行列よりもはるか格上であり最優先で大手を振って旅をした。 その為、行列の一行の中には権力を嵩にきて 乱暴な狼藉をはたらく者も出て世間一般からは嫌われる存在だった。 その模様を皮肉ったのが 童歌で有名な「ずいずいずっころばし」である。 ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壺に追われてとっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ 俵のネズミが米食ってちゅー、ちゅーちゅーちゅー おっとさんが呼んでも、おっかさんが呼んでも、行きっこなーしよ 井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれだ この歌の意味は次の通りだ。 ずいきの胡麻味噌を作っていたら お茶壺道中が近づいてきた 家の戸をぴしゃりと閉めて、 家の中で道中が抜けるまで息を潜めよう 余り静かなので、ネズミの鳴き声、俵の米を食べる音が聞こえてくる 誰だ、こんな時に、井戸でお茶碗落として大きな音をたてたやつは (今ではローマ法王にも献上されている)
by shige_keura
| 2016-03-08 20:37
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