バラエティに富み、中身も濃かった
6泊7日九州の旅は多くの思い出を残してくれたが、 最後は天下の名城、肥後・熊本城で締めくくることとする。 数年前に駆け足で熊本に半日逗留したとき、 朝、ホテルのカーテンを開けた途端びっくりした。 ホテルは今回と同じキャッスルホテル、 目の前には画像と同じ熊本城がそびえ立っていた。 「これは凄い!」。 何が凄いかと言って、 これほど勇壮な城を見たのが初めてだったからである。 国も違う、全く城の形も違うが、 かつて南仏をプロヴァンスからランドックへと旅したとき、 ブドウ畑の遥か向こうにカルカソンヌの城を見た時と同じような感動を覚えた。 カルカソンヌを攻め落とすのは一筋縄ではいかない、 又、熊本城も難攻不落の偉容を誇っている。 肥後城主として加藤清正が この地に入ったのが天正16年(1588)のこと、 その時に入った城は隅本城(古城)と呼ばれていた。 加藤清正は尾張の国、中村の生まれであり 母は秀吉の生母・大政所と血縁関係があったと言われている。 その為に清正は秀吉に可愛がられ地位を確立していく。 清正が新たな城の建設に乗り出したのが 慶長6年(1601)と言われているが、 そのきっかけが慶長3年(1598)頼りの秀吉がこの世を去ったことだった。 6年後、新たな城は熊本城と名前を変えて 戦国一の堅固な城として評判をとっていった。 清正は凝り性で心配性だったから、 これだけの城構えにこだわったという。 加えて周囲には敵対する小西行長、立花宗茂等が 隙あらばと窺っていたからこそ鉄壁なる防御にこだわったに違いない。 今回初めて城内に入ってみて、 この城の難攻不落が実感として感じることが出来た。 通称、「武者返し」として有名な急角度な城壁、 たとえ一ノ丸を破ったとしても迷路のように入り組んだ城内、 そして地上5階と天守閣に匹敵する多層櫓、 その先に地上6階、地下1階の大小天守閣、 まさに日本が誇る鉄壁な名城それが熊本城である。 当地を案内してくれたかつての会社の同僚はこう言った。 「熊本でお見せできるところは熊本城意外にないんですよね」。 しかし、熊本城があるだけで、それで十分なのではないだろうか。 もう一度、この秋にでも訪れてみたい気持ちになっている。 それほど、私にとって熊本城は魅力的な城なのである。 追伸: 熊本を中心に起きた大地震の影響を蒙った熊本城、 テレビ、新聞等で見る姿は痛ましい限りだ。 被災地の皆様は不安な毎日を送っておられるに違いない。 市内に住む友人宅は幸いにして被害は殆どなかったようだ。 人吉の「寿福酒蔵」はどうだっただろうか?ご無事を祈る次第である。
by shige_keura
| 2016-04-16 17:57
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