昭和37年高校を中退した一人の投手が
パリーグの東映フライヤーズに入団した。 オープン戦ながら巨人戦に登板した彼は 長嶋茂雄を4球で三振にしとめた。 昭和37年といえば長嶋入団5年目。 絶頂期を迎えた長嶋が 三振を喫した後 「ともかく速いよ!」とぼやいたあたりに 新人投手の凄さが見て取れる。 ![]() 彼の名前は尾崎行雄 前年の夏、高校2年の時に 柴田を擁する法政二校を下し 浪華商業を全国制覇に導いた。 昭和37年4月7日 パリーグ公式戦開幕。 その3日後の朝刊の見出しに 「17歳の恐るべき笑顔」の記事が躍った。 それは東映対大毎の公式戦第2戦が 神宮球場で行われた時のことだった。 つめかけた観客6万!! そのボルテージが最高潮に達したのが 延長10回の表大毎の攻撃のときだった。 この試合大毎が3点を先制するが 東映もジリジリと追い上げ 9回の裏で同点に追いつき 延長戦へと突入した。 ここで、水原監督がマウンドに送りだしたのが 17歳の新人、尾崎行雄だったのである。 ![]() 当時の大毎打線はミサイル打線の異名の如く 強力な打撃を売り物としていた。 先頭の2番葛城が快速球に押され 力のないピッチャーゴロに討ち取られた。 続く3番は榎本喜八、 打撃の神様川上が絶賛した好打者だ。 ところが、バットに当てる上手さならば 右に出る者がいない榎本が三振!! 更に、大毎の4番というか パリーグの顔とも言うべき山内までもが 手も足も出ずに三振に切ってとられた。 (満員の神宮、山内に対する新人尾崎) ![]() 球場は一瞬静まり返ったあと 万雷の拍手と声援で包まれたていった。 この場面、尾崎は総て 直球で押したという。 試合後のコメントで 関係者はまたまた驚く事となる。 「あんな速い球見たことが無い」 山内は憮然とした表情で 一言語っただけだった。 一方、勝利投手となった尾崎は 17歳、少年の面影が残る笑顔でケロリと言った。 ![]() 「あのタマは打てるはずがないと思ってました」 この言葉と表情が あくる日の朝刊記事 「17歳の恐るべき笑顔」につながっていくのである。 当時の尾崎のスピードはどのくらいか?? 後年、ビデオの投球を解析して割りだした所 推定159キロは出ていたとの結果となった。 当時の高校野球 東の柴田と西の尾崎の対決が 満天下の野球ファンを熱狂させた。 そして、尾崎自身も柴田に対しては 異常なほどのライバル心を持っていた。 尾崎がプロ入りするに際し 阪急ブレーブスが 東映の倍以上の条件を提示した。 しかしながら尾崎は東映を選んだ。 その理由はただひとつ、 東映の方がパーリーグで優勝の可能性が高いこと。 そして優勝すれば日本シリーズで 巨人に入団した柴田と投げ合う事ができるからだった。 ところが、昭和37年のセリーグは阪神が優勝、 更に柴田は打者に転向していった。 従って、尾崎、柴田のプロでの投げ合いは 永遠の夢とついえたのである。 彼等2人は私と丁度同年代 テレビとは言え、リアルタイムで 息詰まる投げ合いを堪能できたのは幸せである。 ■
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by shige_keura
| 2008-03-12 22:14
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