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テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)
「とかくこの世は素晴らしい
 金持は夏に氷が喰えるし
 貧乏人は冬、喰える」

こんな、とぼけた書きかけの原稿を残し
元はといえば名保安官
功成り名を遂げた
ニューヨークの新聞記者
バット・マスターソンは
65年の人生を終えた。

連続テレビシリーズ、「バット・マスターソン」が
始まったのは1959年
放映局は当時のNETだった。

このシリーズが魅力的だったのは
主人公が西部のヒーローには似つかわしくない
埃とは全く無縁の洒落男だったからである。

そして、この主役を演じたのが
これ以上気障な俳優は居ないとも思われる
ジーン・バリー。
テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)_c0135543_1146031.jpg

まさに”はまり役”とはこの事だった。



では、実際にバット・マスターソンは
お洒落だったのだろうか??

それが下の画像にあるが如く
上等な生地のフロックコートに山高帽。
テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)_c0135543_9531273.jpg

そして、歩く時には
象牙の柄がついたステッキを持参していた。

これには訳があって
若き頃の撃ちあいで
足を負傷し、それ以降
松葉杖代わりに上等なステッキを持つようになったのだ。

従って、バットは本名ではなく
松葉杖代わりの”こん棒”(Bat)から名づけられたものだった。

普通の保安官は
このようなお洒落が出来るほど裕福ではない。

しかし、バットの場合は保安官以外に
副業として賭博場を経営していた。

だから、ザクザクとお金が入ってきた。

しかも自らが名ギャンブラー!!
”ウハウハ”と笑いが止まらない。

まさに、”鬼にキャナ棒”、
”バットにステッキ”である。

保安官なのに博打場経営???

しかも、それを頼んだのが
名保安官にして親友の
ワイアット・アープなのだから
当時の西部はなんだか訳が分らない。

ただ、彼が名保安官であったことは
間違いない。

殺戮を好まぬバットが
生涯人を殺めたのは4人。

これは、他のシェリフと比べると
圧倒的に少ない数であり
いかに彼が優れた保安官であった証しとも言える。
テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)_c0135543_954851.jpg

テレビシリーズも同様で
決して派手な撃ち合いはないが
洒落者バットの一挙手一投足が売りで
大人も楽しめる内容だったと思う。

主役のジーン・バリーは
この役で彼のキャラクターは決まった。

1963年には時代を現代に移し
ロールスロイスにふんぞり返る
大金持ちで”もてもて”の刑事に扮する
「バークにまかせろ」(Burk's Law)が
日米で大ヒットする。

このときの吹き替えが
声優の第一人者、若山弦蔵。

野太い声でありながら
”オネエ言葉”を使うのが妙に印象的で
後の「ナポレオン・ソロ」に引き継がれていく。

ジーン・バリーは
日本では余り知られていない俳優だ。

しかしながら、アメリカでの人気は高く、
”007に最も近くにいながら
 結局は到達しなかった俳優”とも言われている。

何故なら、彼は初代のボンド役、ショーン・コネリーと
3代目のロジャー・ムーアと
007役を争い、共に敗れてしまったのだ。
テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)_c0135543_9551185.jpg

そう言われてみれば、
当時のショーン・コネリーとジーン・バリー
その悪戯っぽい目付きは
一脈相通じるものがある。
               (御存知初代ボンド、ショーン・コネリー)
テレビが面白かった頃 (保安官は洒落男)_c0135543_9554532.jpg

by shige_keura | 2008-06-02 20:49 |
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