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赤いりんごに・・・  -遥かなる志賀高原-
今回のリンゴ狩り、宿は奥志賀、
ホテルの目の前にはスキーリフトが冬を待っている。
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到着日、夕陽に黄葉がキラキラと輝き、
明日の好天を約束しているようだった。
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ところが明朝、部屋のカーテンを開けはなって驚いた。

何と、一面の銀世界だ!!
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綺麗とばかり、景色に見とれる余裕はない、
何故ならば、自動車は冬タイヤを履いていない。
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しかも、帰りはりんご園まで急な下りが続く、
さーーー、どうしよう、困ったなーー。

このときは、天の助けか、
9時頃より太陽が顔を覗かせ
見る間に道路の雪は消え去った。

やはり、自然を侮ってはいけない。

特に晩秋のスキー場、
万全の備えで臨むべきなのだ。

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by shige_keura | 2012-11-30 08:39 |
赤いりんごに・・・  -野菊の君の里-
信濃路をあとにする前に食したいもの、
それは無論のこと蕎麦である。

「信州、信濃の蕎麦よりも
 わたしゃ、あなたのそばが良い」、

こんな都々逸が有るがごとく
信州と言えば蕎麦の里だ。
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立ち寄った街道沿いの蕎麦屋、
蕎麦の味がどうこうよりも
映画ファンの爺にとっては素晴らしい発見があった。

蕎麦屋の駐車場の一角に
なにやら、古びた看板を見いだした。

「野菊の如き君なりき」は、ここで撮影されました。
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私の小学校、中学校時代の頃
日本映画の二大巨匠と言えば
男っぽいタッチの黒澤明に対して
女性的で繊細な木下恵介だった。

私は断然、黒澤派ではあったが、
木下恵介の作品で好きだったのは
「二十四の瞳」と「野菊の如き君なりき」だった。

原作は伊藤左千夫の小説、「野菊の墓」。

但し、木下監督は、
舞台を原作の千葉から風光明美な信州に移すことで
主人公、二人の少年、少女が抱く清純無垢な心根を
痛々しいほど透明に描き上げた。
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モノクロ画面から感じられる信州の空の青さ、雲の白さ、
回想場面は古い肖像写真からヒントを得たという
画面の周囲を白くぼかしたアイデア、
木下恵介の持つ繊細なテクニックが際立った作品だ。
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by shige_keura | 2012-11-29 08:25 |
赤いりんごに・・・  -リンゴ村のワイナリーー
飯綱町はリンゴ畑に囲まれた町なのだが
彼方の丘を見上げるとブドウ畑も存在し、
瀟洒なワイナリーの建物も見える。
               (丘の上に見える白い建物の教会とワイナリー)
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ここが飯綱町、芋川にある「サン・クゼ-ル」(St. Cousair)ワイナリーだ。

クリーム色の建物の入り口にワインの大樽が飾られ、
広々とした庭が広がった向こうにワインナリーが見えている。
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長野県の片田舎、信州の山々に囲まれて
このように欧風の香り漂わせる場所があったとは!
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元はと言えば1975年、斑尾高原でペンションを始めたのがきっかけ、
1985年にワイナリー、農園プロジェクトがスタートし
3年後目出度く竣工し、ワインづくりが本格的に始まった。

飯綱町は斑尾高原の南麓に面し陽当たりが良い、
更には寒暖の差が激しく、土地そのものは肥沃とは言えぬ。
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まさに、ワインづくりにもってこいの土地なのだ。

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by shige_keura | 2012-11-28 08:25 |
赤いりんごに・・・・  -緑もあるでよー
ヨーロッパではリンゴは赤ではなく緑である。

もちろん、赤い色をしたリンゴもないわけではないが
リンゴ畑の殆どは緑色に埋め尽くされている。

大きさも小ぶりで、カッチリと身が締まり、
酸味が強く野性的な風味である。

日本人が食べれば、「酸っぱ-い!」と言うだろうが
これが、自然の果物の味なのだ。

生で食べても美味しいし、
アップルパイ、ジャム等、加工にも適している。

ところが、この青リンゴ、
日本ではなかなか手に入らない。

日本は今や、何でもかんでもが、
「あまーーい! 柔らか--い!!」の時代、
固くて甘味より酸味が勝ったリンゴは人気が無いのだろう。

ところが、ここ飯綱町では、細々とであるが
青リンゴを栽培・販売をしている。
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「あった! あったよ!!」
緑のリンゴがたわわに実ってる。
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試食をさせてもらうと、
まさに、あの味、口の中が清々しく洗われる。

早速、20個ほど分けてもらった。

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by shige_keura | 2012-11-27 08:34 |
赤いりんごに・・・  -気概の脱サラー
今回訪れたりんご園(フェルム・ド・ポム)の経営者
岡田 正さんは、現在65歳、
58歳の時に脱サラ決断し大船からこの地に移り住んだ。

北信の風光明美な自然に魅せられた岡田さんだが
最初からりんご栽培とは決めていなかった。

最初は野菜農園も考えたそうだが
野菜の場合は土地が広大になり過ぎ、
手が行き届かぬ恐れがあるので
リンゴを中心とする果樹園経営を始めた。

岡田さんが最初に苦労したことは
りんご栽培もさることながら人間関係だった。

彼はどうしても「よそ者」扱い、
日本の田舎にありがちな排他的壁にはね返された。

その環境に諦めず、へこたれず
りんご園経営者の昼夜の集まりに積極的に参加した。

酒を酌み交わす事数年、
漸く岡田さんは身内と認められるに至った。

我が身を振り返ると
60歳にして、この決断と努力は出来ない。

凄いことだと感心する。

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by shige_keura | 2012-11-26 08:30 |
赤いりんごに・・・・  -楽しき哉-
「赤いりんごに 口びるよせて
 黙って見ている 青い空・・・・・・・」
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戦後初の映画、「そよかぜ」(1945年、松竹大船)の挿入歌として
紹介されたのが「りんごの唄」。

サトウ ハチロ-作詞、万城目 正作曲、
並木路子と霧島昇が歌った「リンゴの唄」は
敗戦によって憔悴しきった国民の心を癒し
空前の大ヒットを記録した。

リンゴとミカンは日本を代表する二大果物、
ここ長野県は青森県に次ぐリンゴの産地だ。
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中でも、今回訪れた飯綱町は人口わずか1万人余にも係らず
全国のリンゴ生産高は1%を優に超え、
「リンゴの村」として地域活性化のお手本になっている。
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11月20、21日生涯初のリンゴ狩りを
この「リンゴの村」で楽しんだ。

偶々、北陸時代の会社の仲間が
この村のリンゴの木のオーナーとなっており
前々から誘われていたものが漸く実現したのである。

当日は渡る風は冬を思わせたが
黙って見ている青空の下
赤く色づいたリンゴを満喫した。

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by shige_keura | 2012-11-24 08:28 |
親子どんぶり
11月17日府中で行われた「東京2歳ステークス」、
吾ブログ、9月18日で紹介した「馬の尻尾」の主人公、
コディ-ノが直線他馬を寄せ付けず完勝した。
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ゴール前、騎手は後ろを見る余裕、
レースレコードで格の違いを見せつけた。

コディ-ノはこれで3連勝、
当レース、前レースの「札幌2歳ステークス」は共に
出世レースとの評判が高い。

これで、来年のクラシックレースの主役になることは確実、
願わくは怪我をせずに順調に育ってほしい。

コディ-ノは関東の藤沢厩舎の持ち馬、
レースで2着したレッドレイヴンも同じ厩舎である。

このように同厩舎、同馬主の馬が1,2着独占することを
競馬界の言葉で「親子どんぶり」と言う。

初めて私がこの言葉の意味を知ったのが1967年、
ダービーの翌日の新聞の言葉によってである。

「アサデンコウ第34回ダービーを制す!
 2着はヤマニンカップ、藤本厩舎、親子どんぶり!!」

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by shige_keura | 2012-11-22 11:18 | スポーツ
Remember Dai・Rake
つい先日国民的大女優であり
国民栄誉賞を受賞した森光子さんが亡くなった。

慎んで御冥福をお祈りいたします。

森光子さん逝去の報に接した時
子供のころに見ていた或るテレビ番組を思い出した。

それは、「ダイラケのびっくり捕物帖」、
大阪テレビが製作した初の全国ネット番組で
東京では1957年から1960年まで
日本テレビで放映されていた。

ダイラケとは当時、関西の人気漫才、
中田ダイマル・ラケットのことで
2人が目明しとしてドタバタを繰り広げる公開喜劇だった。

目明しの上司となる与力、来島仙之助に扮したのが
テレビ初登場の藤田まことだった。

森光子さんは関西でデビューしていたものの関東には初見参、
与力、の妹、妙となって全国に名前を知られることとなった。

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既にこの時、彼女は37歳の筈なのだが
それが信じられぬほど初々しく可愛かった。

ところが、このお妙さん、腕は滅法強く、
悪党どもをばったばったとなぎ倒す。

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by shige_keura | 2012-11-19 08:45 |
別れの涙ー再会のぼやき
衆議院解散、万歳三唱に加わらず、
ひとり宙の一点を見つめる野田さん、
何を考えているのだろうか?

その時の彼の顔、
全てをを吹っ切ったのか、
清々しさを醸し出していた。

それにつけても、離党はあとを絶たない。

なんとも、品性の下劣な人たちが多い事か!

沈み行く船を置き去りに逃げ出す鼠ども、
まったくもって浅薄な根性である。

「船だから”せんぱく”だと!
 下手な洒落はやめてくれ」

周りは荒波の漂う大海、寒風が吹きあれている。

貴様たちはそんな逆境を乗り切っていける気概を持っているわけがない。

どぶネズミとなって海の藻屑が関の山だ。

さてさて、この先は愚劣極まりぬメロドラマ、
「別れの涙ー再会のぼやき」のはじまり、はじまり。

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by shige_keura | 2012-11-17 17:42 | その他
前途洋々たり
「我が国の前途洋々たり」

この言葉が発せられたのは昭和20年8月、
玉音放送が流れ、日本の敗戦が決定した翌日のことだ。

国土は焦土と化し、全国民が悲嘆にくれ
将来に大きな不安を抱いていた時、
「我が国の前途洋々」と言ってのけた人が現れた。

その人は、岩手県に疎開中ながら
一言論人として東洋経済を率いていた石橋湛山だった。

戦前から彼の主張は「小日本主義」、
「一切の植民地を捨てる覚悟」と言い続けた。

主張の概要はこうだ。

植民地を友好的に統治することは殆ど不可能だ。

更にアジアの国をアジアの国が植民地とすることは
欧州列国がアジアの国を植民地にするのと訳が違う。

近親憎悪は限りなく性質が悪く、
遠い将来まで禍根を残すだろう。

植民地を捨てて国同士の貿易でアジアの国々と付き合う方が
日本の将来の為になることは必定だ。

さらに、ここで植民地を捨てれば
外交上、欧州列国に対し有利にことを運べる。

一時の時間さえあれば書斎で読書、
ケインズ経済はじめ多くの経済書を原語で読破、
湛山の頭の中には日本の将来について揺るぎなき自信があった。

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by shige_keura | 2012-11-15 18:23 | その他



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