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区境の競馬場
東京23区内の面積最大を誇る大田区だが、
その昔は大森区と蒲田区に分かれていた。

合併したのは1947年になるが、
新たな区の名前の決定が紛糾し、
究極の妥協案である大森区の「大」と
蒲田区の「蒲」の字を貰って大田区となったと伝えられている。

2月13日快晴の日曜日、京急蒲田駅を出発し、
かつての区境を歩くユニークな町歩きに参加した。

2時間半ほどの行程の最後が池上線の
池上と蓮沼の中間点にかつて存在した
「池上競馬場」の跡地見学だった。
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「池上競馬場」の存続は僅か5年(1906~1910)、
跡地には区が設置した記念プレートがあるだけで
往時の面影は何処にも無い。
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しかしながら日本競馬史における
「池上競馬場」の存在は大変意義深いものがある。

その理由は二つある。

一つは、競馬場設立の後ろ盾となったのが、
日本初の競馬政府公認社団法人・「東京競馬会」があったということ。

もうひとつは、この競馬場で
日本人の経営によって初めて馬券が売られたということである。

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by shige_keura | 2016-02-28 17:34 |
晩年の光り輝き
今評判の「ニューヨーク 眺めのいい部屋貸します」、
オリジナルタイトル、”5 Flights Up”を観た。

眺望は良いがエレベーターの無いアパート、
5階までの上り下りがしんどくなった夫婦が引っ越しを考える。

さー、そこからはアパート仲介業者、入居希望者、夫婦の転居先、
アメリカ社会のビジネス性、アメリカ人のメンタリティを絡めて話は進む。

進むといっても展開は淡々と流れる水のごとしであり
結末は大体推測できるのだ。

そうなると、退屈極まりない作品になりがちだが、
それを評判の作品に仕立て挙げているのが主役の二人。

ほぼ満員の場内、主演の二人、
モーガン・フリーマンとダイアン・キートン、プロの掛け合い、
流石の演技をじっくりと堪能している気配がひしひしと伝わってきた。

小川が音も立てずに静かに流れゆくかのような本作品のリズム、
それは名優・モーガン・フリーマンと初めて出会った映画
そのときの雰囲気と似通っている。

そして、その作品で私は人生の晩年にさしかかっているにも関わらず
燦然と光り輝く素晴らしい女優に出会った。
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映画は1989年製作の「ドライビング Miss デージー」、
女優の名前はジェシカ・タンディである。

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by shige_keura | 2016-02-23 21:09 |
星の決め手はマッシュポテト
ここ恵比寿のガーデンプレイスに
ひと際目を引く白亜の建物が
シャトー・レストラン「ジョエル・ロブション」である。
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オーナーのジョエル・ロブションはフレンチの神様、
或いは皇帝の異名を持つ男
世界各国に彼の名前を冠する店を展開し、
獲得しているミシェランの星は全部で28に及ぶ。
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滅多なことでは行けない場所なのだが
娘二人からのプレゼントを貰った。

なんと、「ピエール・ロブション ラ・ターブル」の昼食招待券だ!

平日の昼間にもかかわらず広い部屋の席は8割がた埋まっている。

男女比は・・・・・・、数えてみたら男性は私を含めてたった3人だった。

フランスパンにオリーブ・オイルが運ばれた時の
係りの人との会話である。
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「最近はフレンチもオリーブオイルが多くなりましたね」

「はい・・ですが、バターが宜しかったら持ってきますので仰ってください。
 お客様はフレンチだとどのようなお店に行かれるんですか?」

「そんな、度々行ってるわけじゃないけれど、
 最近のフレンチは随分とあっさりとした味が多いですよね」

「そうなんです。今や世界的にヘルシー志向、
 ここも、本家フランス・ロブションの流れを汲んで
 ソースがあっさり目になってきましてね。
 やはり、ご本家には逆らえないですから・・・・、
 その昔の濃厚なソースが懐かしいのではないのですか?」
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ロブションのラベルが貼られた赤ワインで
オリーブに浸したパンを食べると
残念ながらもうひとつ物足らない。

あらためて頼んだ発酵バター!! 
これが実にフランスパンとワインにピタリとはまる。

素材の良さをできるだけそのまま生かす
イタリアンにはオリーブオイルが良い。

何故なら、ここでバターを使っては
素材の良さを消してしまうからだ。

一方、フレンチの場合の決め手はソースなのだから、
バターと生クリームは欠かせないことになる。

フランスのバゲットにはバター、
イタリアの素朴なパンにはオリーブオイルが絶対だ。

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by shige_keura | 2016-02-22 08:40 |
大東京の生命線
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2月11日、快晴の建国記念日、
有栖川公園の梅は7分咲き、メジロが盛んに蜜を吸っている。
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子供たちの嬌声が早春の風に乗って聞こえてくる中、
今日の目的地に向かって歩を進める。

中央図書館で行われている展示
「東京の鉄道史 -鉄道が描いた都市 東京-」、
とりわけ、現代アート「東京動脈」がお目当てである。

この作品は2007年、当時、東大大学院に所属していた
栗山貴嗣さんによるものである。

東京の営団地下鉄路線を
三次元で表したユニークな作品で、
9路線のチューブの中には、
それぞれのシンボルカラーで染められた水が
あたかも地下鉄車両のように動いている。
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子供のころに瓶で作った蟻の巣を思い出すような
三次元地下鉄路線を眺めてみると
高低差の際立ちに驚かされる。

その昔、技術が伴わなかった頃の地下鉄はあまり深くないので
低い土地、例えば「渋谷」「四谷」等
「谷」のところでは地下鉄が地上に顔を出すこととなってしまった。
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一方、掘削技術の進化に伴って、
近年開通した路線は地下深く潜んでいる。

網の目のような現代東京の地下鉄網、
題名が「東京動脈」と謳っている如く、
こうやって眺めるとまさに人体の血管だ。

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by shige_keura | 2016-02-19 09:03 |
房総は春近し -地球をひとまわり―
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               (旧宅内にある伊能忠敬像)
ここは佐原の水郷地帯、
運河脇にあるのが伊能忠敬の旧宅である。
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伊能忠敬は日本を代表する測量家として名高いが
商人の才能も一流だった。
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伊能忠敬は江戸時代の中ごろ(1745年)
千葉県の九十九里浜に生まれ
17歳の時にこの地の酒造家であった
伊能家に婿養子に入り50歳までここに暮らした。

彼が伊能を名乗ったころ、
家の商売は危機的状況にあった。

忠敬は商売立て直しのために徹底的な倹約を進め、
その一方では本業以外に江戸に薪問屋を設けたり
米穀取引の仲買商売を行った。

その結果、29歳の時には
伊能家の収益は351両(約3,500万円)にまで回復した。

又、28歳の時に起きた「天明の大飢饉」の際には
私財を投げうって地域住民の救済に当たり
村では餓えで命を落とす人は出なかったという。

家の商売は彼の人徳と商才によって繁盛し
48歳の時の収益は1,264両(約1.3億円)にまで達した。
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忠敬はその頃より独学で暦学に打ち込み
49歳で家業のすべてを長男に託して隠居した。

隠居と言ってものんびりすることが目的ではなく
ひとえに暦学への探求をしたいからだった。

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by shige_keura | 2016-02-17 16:11 |
房総は春近し -満腹のあとはドーバーで-
鮮魚が売りの食事処、
「すず女」は銚子エリアの人気店。

列の後ろに並んで待つ甲斐があったことは
運ばれた料理を見て一目瞭然。
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最初に運ばれてきた家内注文の
海鮮丼の迫力も十分だったが、
私の頼んだ海鮮別盛りのボリュームはその上をいくものだった。

一体、どれほどの種類の魚介が目の前に並んだのだろう。
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記憶をたどると、カニ、エビ、イカ、タコ、ブリにスズキ、マグロ、
貝類が平貝、ホッキ、ホタテに・・・・・あとは覚えていない。

茶碗に山盛りのご飯はとてもではないが途中で白旗。

コストパフォーマンス抜群の店だった。

腹ごなしウオークならば絶好な場所が屏風ヶ浦、
切り立った断崖は「東洋のドーバー」とも呼ばれている。

断崖の高さは約60メートル、
スケールではドーバーには及ばぬものの
海辺から広範囲にわたって地層を見学できる興味深い場所である。
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この岸壁はかつては海底にあった石灰岩の地層が隆起し、
その上に関東ローム層の赤土が積もったものである。

尚、ローム層がなぜ赤くなったかと言うと、
火山灰が積もって鉄分が赤く酸化していった為に出来たものなのだ。

このように海底からせり上がった岸壁だが、
土壌が弱いことと打ち寄せる波の強さで
有史以来数キロに渡って削り取られている。

海の中から現れた陸地が再び徐々に海に消えていく。
自然とは実に興味深いものだ。

具体的な例として鎌倉時代に崖上に築かれた
片岡常春の居城・佐貫城の遺構は
今や沖合数キロの海中に眠っている。
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by shige_keura | 2016-02-15 21:18 |
房総は春近し -「上」の意味は?-
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今や世界の味として洋の東西を問わず
親しまれている醤油であるが、
一体いつごろこの世に生まれてきたのだろうか。

醤油の原型と言われる醤(ひしお)は
すでに弥生時代からあったといわれているが、
一般に我が国における醤油の発生は鎌倉時代と言われている。
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紀州由良(和歌山県)、興国寺の僧・覚心が
宗の国で習得した味噌の作り方を教えているときに、
偶々、桶の底に溜まった液をなめてみると
大層美味しいのに驚いたのが醤油の始まりである。
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ただ、その頃の醤油は「たまり醤油」で
量に限りがあり一般的に流通するまでに至らなかった。

その後、江戸時代に入り(1610年ごろ)
現在の醸造法が和歌山県で発明(湯浅醤油)されたことで全国に広まっていった。

当初は関西は言うに及ばず江戸でも
いわゆる「下り醤油」(西から江戸に運ばれてきた醤油)が普及していた。

関東でも醤油づくりには江戸時代から力を入れていたのだが
その中心にいたのが富農、名主層、近江商人と並んで紀州出身者がいた。

後に、彼らは独自に「濃い口しょうゆ」を発掘し
利根川・江戸川水系を活用して
大消費地の江戸への出荷を伸ばしていった。

その結果、江戸時代後半に入ると
江戸の町でも濃い口しょうゆが
下り醤油よりも好まれるようになっていった。

この濃い口醤油生産の中心なのが
千葉県の銚子と野田なのである。

現在の日本の県別生産量を見てみると
千葉県が35.6%と他県を圧倒している。

又、日本の醤油五大名産地の中には
銚子、野田、龍野と千葉県の三つの町がリストアップされている。

因みに残るふたつの産地は、
兵庫県の小豆島と石川県の大野である。

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by shige_keura | 2016-02-13 20:52 |
房総は春近し -お喋り九ちゃん-
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「香取神宮」は関東地方を中心に全国にある香取神社の総本山、
元締めの偉容をまざまざと見せつけるかの如き
堂々たるお社を構えている。
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ここは「団碁祭」の名のもとに
お神酒ではなくお団子を備える祭りが有名で
参道の両側にはあちこちと「厄落とし団子」の看板が見られる。
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その参道に沿って鳥居に向かって歩を進めている
途中ギクッとして一行の足が止まった。

「お団子おいしいよ」妙な声音ながら
はっきりとした呼び込みの声である。

「誰だ?俺様を呼び止めたのは?」と、
声の方向を見やると、
小さな鳥かごに一羽の鳥が鎮座ましましている。
                      

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by shige_keura | 2016-02-10 22:43 |
房総は春近し -風情ある町並み-
1月31日、快晴の日曜日、
家族郎党、総勢10名で早春の房総を旅した。
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夏ミカンの黄色と葉の緑が青空に映え、
蝋梅のほのかな香りが風に乗って運ばれ、
房総の春はすぐそこまで来ている。
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最初の目的地は佐原・香取の水郷地帯、
そこに昔の面影を今に留める町並みがある。
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尚、水郷とは明治から昭和初期にかけては
「すいきょう」と呼ばれ水のほとりの村を意味していた。

やがて昭和中期に入ると、
その中でも利根川下流から霞ヶ浦にかけての地域を
「すいごう」と呼ばれるようになった。

茨城県の「潮来」と千葉県の「香取」が水郷を代表する地点である。

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by shige_keura | 2016-02-08 21:44 |
思い出の夕食
2月某日の夕食、珍しや「アイスバイン」の登場である。
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アイスバイン(Iisbein)とはドイツを代表する家庭料理と
ガイドブック等には紹介されている。

しかしながら、ドイツ人は一般的に
夕食は、火(ガス、電気等)を使う料理を極力避けるので、
今日では家庭料理と言うより、
ビアホールをはじめとするレストランで味わうメニューだと思う。

調理方法は塩漬けの豚の脚を
野菜、香辛料でじっくりと煮込んだものである。

我が家の夕食を飾ったアイスバインは
娘が麻布十番の行きつけ「日進」で
冷凍の塩漬け豚肉を見つけ届けてくれたものだ。

「アイスバイン」を見ると遥か昔、
ドイツに出張したあのころが思い出されてくる。

時は、1976年の夏、丁度、カナダのモントリオールで
オリンピックが開催されていた頃のことだった。
               (デュッセルドルフ市内をバックに流れるライン川)
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当時、デュッセルドルフにあった子会社のお手伝いとして
ドイツ語も喋れぬ私が3か月間の出張を命じられたのだ。
               (ナポレオンが小パリと言った市内のケーニッヒ大通り)
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本当にお手伝いになるのか?
大いなる不安を胸に羽田へ向かった。

「機内の食事なんざー、旨かないよ」。

馴染みの居酒屋の主人が作ってくれたお弁当を
小脇に抱えていたということは、
お店から飛行場に直行したことになる。

全くあの時から何をやっていたのか????
訳が分からない。

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by shige_keura | 2016-02-07 21:10 |



2007年9月末にこちらに引っ越してきました。
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